イルカは、飼育下において大変な苦痛を強いられている。知性豊かで自己意識の高い生き物であるイルカに人工飼育は無理があるのだ。そのため、この問題に対処すべき発想の転換が急務となってきた。
映画「ザ・コーブ」(日本公開は2010年)では、一日に約60マイル(約90キロ)もの距離を移動する野生のイルカを映像でみせている。また、知性の高いイルカが飼育下で退屈し、やがて病んでいく事実も伝えている。 3年前、「ザ・コーブ」は米国のアカデミー賞のドキュメンタリー部門でオスカーを受賞しセンセーションを巻き起こした。この作品を見たとき、私の中に電流が走ったように感じた。このときの映像は未だに私の脳裏に強く焼きついたままである。イルカは、たとえ死が目前にあろうとも、いつも笑っているように見える。それは仕方がないことなのだ。だって彼らの口元の表情の豊かさがそのようにできているのだから。
感受性豊かで社会性に富む生き物たちが歴史の片隅に追いやられないようにするために、何かをする必要があると感じた。漁はまさに今起こっているのだ。映画の中での最も陰惨で残酷な部分は、小さな漁村である和歌山県太地町で行われるイルカ漁についてだ。
まず、漁師たちは、ボートで狭く奥まったごつごつした岩だらけの入り江にボートでイルカを追い込んでいく。その後、漁師たちが休息をとるまでの間、水族館用に、容姿や条件の良いイルカを選択し、他から引き離す。残りの多数のイルカは食肉用に屠殺される運命となる。(ビデオ参照)
水族館が虐殺資金を調達
太地町は世界で最大の輸出用イルカの捕獲地である。昨年のイルカ漁のシーズンでは247頭のイルカが生け捕りにされ、900頭が殺されている。9月から翌3月まで続くこのイルカ漁は今年もまた行われている。
イルカ漁は大きな利益を生むビジネスである。調教されたイルカ1頭あたり、最高100,000ドル(1ドル=100円換算で約1000万円)もの大金が支払われている。水族館から受け取った金は、新たなイルカ漁の資金となり、野生イルカの需要をさらに喚起させる。野生イルカの捕獲は生け捕り以外に方法はないが、これを止めさせる唯一の方法は、水族館やマリン・パークといった海洋動物を飼育する施設をなくすことである。
さらなる研究により、日本のイルカ漁が実は広範囲に及ぶ問題であるということがわかった。自己認識を持つイルカは世界中で水族館などの施設で利用されている。儲かるビジネスであるため、彼らはピエロやセラピストとして仕事をさせられる。太地町で生け捕りにされ家族から引き離されたイルカは、ここヨーロッパやウクライナ、トルコなどに運ばれる。そして、何も知らない観光客は娯楽のために金を払うのである。
何を言うかではなく、どう言うのか
ドキュメンタリー映画「ザ・コーブ」は強いメッセージ性があると感じ、私は自分の住んでいる町でこの映画の上映会を企画した。また、近辺の学校にプレゼンテーション用の映画DVDを何十枚も配布した。それに対する非常に肯定的な反響は、私を励ましてくれた。
しかし、イルカ漁をこの目で直に見る必要があると感じていたので、私はヨーロッパのフェロー諸島(デンマーク)を訪れた。ここでもgrindadráp(グリンダドラップ)と呼ばれるイルカ漁がおこなわれているのだ。この旅は私にとって貴重な体験となった。
後に日本に行き、フェロー諸島のように地元の人たちは驚くほど友好的で親切だとわかり、「憎むべき相手」のイメージが直ちに崩壊してしまった。それ以来、私は視点を変えてこの問題に取り組むことにした。フェロー諸島であろうが日本であろうが、解決策は対立よりも教育や協力にあるのだ。
内側からの理解
原因を追究するには多くの研究とその歴史について理解を深める必要がある。私の心の中には憎悪や攻撃的な気持ちはない。この問題に冷静に対処している活動家にも会った。
あなたが漁師に鯨と友達になって欲しいと願うなら、最初にあなたが漁師と友達になる必要がある
というフレーズに感銘を受けた。これは、仲間のカナダ人活動家、レア・レミュー(Leah Lemieux)の言葉だ。
昨年の秋に訪れた日本では、フェロー諸島での経験を繰り返した。イルカ漁を全面禁止することはできないが、私は友好的な文化や私が出会った人たちにとても感謝している。この問題を解決するためには、内側から理解していく必要があるからだ。
一体誰がどうやったらイルカや鯨を殺したり、小さなプールに彼らを詰め込むことができるのか、私にはまったく想像のつかないことであるが、反対側の視点で見てみるようになって、ようやくクジラを殺す人のことを理解の目で見ることができるようになった。今日、私はこの議論について彼らと率直に話をし、聞くことができるようになった。そこには勇気と希望がある。
私たちの目前にあるもの
しかし、まずは自分の身の回りをきちんとするという最も大切なことを発見した。自分が変わりたくないと言っている人が、一体どうすれば他人に同じことを要求することなどできるだろうか? 私はドイツに戻った。ここには自分がやるべきことが十分にあるからだ。
海洋生物学者であるWhale and Dolphin Conservation Germany(ドイツにある保護活動団体)のカーステン・ブレンジング博士(Dr. Karsten Brensing)は、捕獲されたイルカについてこう話す。
最適の条件というのはあり得ない。出来ない理由が多すぎる。まず、自然や社会というものを人為的に作り出すことが事実上不可能である。それぞれの生物は自然の群生から切り離され、人為的に集められる。囲いは野生のイルカには小さすぎるので、若いオスは一定の年齢になると隔離する必要が出てくる。彼らはごく普通の生活を剥奪されることになるのだ。また、捕獲状態での子イルカの死亡率の高さも大きな問題で、繁殖は持続可能ではない
スイスは進歩的な見解を取っている。イルカの輸入は禁止されており、最近、最後の2頭が別の施設に移送され、水族館におけるイルカの飼育が終焉を迎えた。いくつかの他のヨーロッパ諸国においても水族館のない国がある。英国、ノルウェー、クロアチアなどだ。
特に称賛に値する例としてはインドの法律である。2013年5月に環境森林省は洗練された動物を人間の娯楽のために捕獲しておくことを「不道徳」だと宣言し、水族館を禁止したのである。
映画「Blackfish」効果
2013年7月に米国を中心に世界中のあちこちで公開されたドキュメンタリー映画「Blackfish」(原題、日本公開は未だ)の発表以来、シャチを捕獲することは残酷だと考える意識が高まっている。映画では、野生では生涯にわたり家族と行動を共にする非常に社会的なシャチが、エンターテイメントビジネスのために、家族と引き離されて、余生をコンクリートのタンクに押し込められ、観客の前ではパフォーマンスをさせられながら、まさに“キラー”ホエール(英語でシャチはキラー・ホエール【killer-whale】とも言う)になってゆく姿が描かれている。
飼育されているシャチに殺された人間の記録はあるものの(これまでに4人のトレーナーが犠牲になっている)、実際に野生でオルカが人間を襲ったという記録はない。映画に登場した元シーワールドのトレーナーによると、これは明らかに捕獲されたことに起因する鬱や精神病の典型的な兆候だという。
アカデミー賞に選考された同ドキュメンタリー映画は、このような高度な知識を持つ動物を限定的な環境に囲うことは残酷で虐待であると結論づけた。
こうした認識がメディアを通して大きくなるにつれ、映画「Blackfish」は多くの著名人の注目を集めており、水族館での捕獲の終焉を要求している。来年シーワールドで連続公演をする予定だった著名なアーティストはこの映画を見た後、公演のキャンセルをした。若い世代にも希望がある。5歳の動物愛護家(当時。現在は6歳)の男の子、キャッシュ(Cash)の行動をみてほしい。
これは励みになるが、もっと様々な動きが必要だ。そしてそれは一人ひとりが改善することができるものだ。これは人間の娯楽のために犠牲になる動物に対して立ち上がるべき責任であり、意識であり、倫理の問題だ。世界のどこにいても、水族館のチケットを買わないという選択はできるだろう。
2013年12月
(Sasha Abdolmajid は、ドイツの環境保護主義者。主に海洋保護に焦点をおく。鯨類に関する問題を広くレポートし、認知度を上げるため、各地を訪れている。)
翻訳:Noriaki Hosokawa, Kiki Tanaka
2 Comments
We need to join together cross-culturally to help the Taiji Dolphins. Don’t shame Japan; instead, let’s help Japan’s people gain resources to spread the message. Thank you for the article, let’s end this together!