カイコウラと太地町‐ふたつの捕鯨町の話

太地町の入江で生簀に入れられたイルカと泳ぐ光景客 | AP

ショーン・オドワイヤー(明治大学の国際日本学部)
2014年9月22日ジャパンタイムズ掲載
訳: キニマンス塚本仁希

ニュージーランドのカイコウラ町 捕鯨場の跡地

ニュージーランドのカイコウラ町 捕鯨場の跡地

今年8月、ニュージーランド南島の町から遠く離れた海辺でバスを下車した私は目の前の光景に心を奪われた。北を見渡せばカイコウラ山脈がギザギザとした城壁のように浜辺の上に覆いかぶさっており、右の方には膨大に多種多様な生命体が棲むカイコウラ海底峡谷を守る海が広がっていた。そして私が立つ半島には控えめながらも魅惑的な観光地、カイコウラがあった。

カイコウラに住む人々はナティ・クリ族のマオリ人達にはじまり、その後1840年代に捕鯨場を設立したヨーロッパ人たちなど、古くから地元の海洋資源に頼って生きてきた。しかしこの地で鯨が最後に捕獲されたのは1964年のこと。私が8月にこの町を訪れたのは、ニュージーランドきってのホエールウォッチング名所に日本の捕鯨地が学べることがないかと見てみたかったからだ。

オフシーズンにもかかわらず、旅行者達の姿が見え、そのほとんどは外国人だった。マッコウクジラを見に、私とホエールウォッチングツアーに同乗したのは中国、南アジアやヨーロッパなどから来た若いバックパッカーや家族連れだった。

ツアーの後で、ナティ・クリ族が所有するこの会社の社長カウアヒ・ナポラ氏と対談した。会社は1987年に「個人出資で買った小さなボート」からスタートし、事業が成功した今、年間収益はNZ1000万ドル(およそ8億8500万円)。毎年10万人もの観光客を双胴船で案内している。

ナポラの話では、衰退した地方村だったカイコウラを持続可能な旅行観光サービス産業の国際基準「アースチェック」から正式認可を受ける世界クラスのエコツーリズムの町へと近代化させたのはホエールウォッチの起業精神だった。人口3600人のコミュニティが年間80万人から100万人までの訪問者を受け入れながら、国の法律とマオリの掟に従って海洋生態系を保護する取り組みに尽力しているのだ。

その10日後、私は和歌山県太地町を訪れ、カイコウラとの比較性を確かめようとしていた。太地町も魅力的なリゾート地であり、規模もカイコウラに近い。深く崖に囲まれた入江が連なる美しい海外線に位置し、古い神社や遺跡など捕鯨の歴史を語る数々の名所がある。太地町くじらの博物館では町の400年にわたる捕鯨の歴史が誇らしげに展示されている。

同時にふたつの町には明らかな違いも見られた。カイコウラでは観光客は野生のクジラやイルカやオットセイなど、海洋哺乳類の生態系を自然の生存環境のみで見学する。太地町を訪れる人々は捕獲されたイルカの姿をくじらの博物館の狭いプールや水槽の中か、館内の入江でのイルカショーでしか見られない。(小規模のドルフィンウォッチツアーも行われているらしいが。)そして町ではイルカやクジラの肉を出すレストランが立ち並ぶ。

数百メートル先に進むと、2009年のアカデミー賞受賞映画「ザ・コーヴ」で有名になった入江を発見した。そこでは観光客が職員の監視の下で生簀に入れられたイルカと泳ぐ光景が見られた。太地町のホテルは古びており、私の他に外国人訪問者の姿は見当たらず、(もっと活気ある町になれるはずなのに…)と私は思ってしまった。

確かに、太地の観光業は日本各国の地方観光地同様、右肩下がりだ。年間旅行者数は1998年の38万9000人から2009人には24万6000人まで減っており、くじらの博物館の入場者数は1974年に47万8573人だったのに対し、2009人は14万1688人しか動員していない。1

太地町の主産業である漁業も、乱獲や利益性の低迷、そして老化・縮小する漁業の影響で(あとで説明する一つの分野を除いては)衰退している事から、町は深刻な経済的苦難に迫られている。

太地町の入江で生簀に入れられたイルカと泳ぐ光景客 | AP

太地町の入江で生簀に入れられたイルカと泳ぐ光景客 | AP

太地町もカイコウラのように、世界中から訪問者がもっと大勢集まるようなエコツーリズム戦略を発展する事もできるはずだ。既存の観光業に加え、関西国際空港へのアクセスが改善されれば、その移行はカイコウラの昔より簡単なものになるだろう。なぜならホエールウォッチ社のナポラ氏の話では、設立当時の住民の間では「観光は汚い言葉」であり、現地の白人達による営業妨害も起きたというからだ。

太地町では観光客が飼育されたクジラやイルカと触れ合う設備として28ヘクタールの大きさのマリンパークを建設予定だそうだ。話を伺った太地町役場の役員は、外国人観光客にもアピールするような取り組みを計画していると話した。活動団体シーシェパードに感化され、そのような場所に否定的な感情を抱く外国人観光客に関してはどのような対応を取るつもりか、と質問すると「それは今考えています」との返事が返ってきた。

この計画があれば太地町はエコツーリズムの未来に向かって手探りで進み出せるかもしれない。しかし、日本の捕鯨業と外交を研究する森川純教授によれば、国会内の捕鯨推進議員連盟、水産庁や水産業界、学界や主要マスメデイア関係者など、少数でありながら権力的な人々が捕鯨を日本の”固有の伝統文化として断固、死守!”と力強く「合唱」しているのだ。2

つまり、彼らにとって入江をイルカの血で染める追い込み漁は続けなければならない“伝統”なのだ。しかしそのままでは海外からの旅行者はほとんど来ないだろう。


9月初旬、元イルカ漁師の石井泉さんと共に太地町のエコツーリズムのメッセージを進めようと来日していたベテラン活動家のリック・オバリーから閉館したホテルやレストランなど、衰退した太地町の観光業の現状について話を聞くことができた。

「私は太地町が大好きです。ここには世界で最も美しい海外線のひとつがある。偉大な可能性がここにあるんです」とオバリーは話す。

しかし、太地町がエコツーリズムを実現させるにあたって立ちはだかる大きな障害はイルカ漁の利益性にある、と彼は説明する。特に生きたまま捕獲され、くじらの博物館内で訓練されるイルカは国内・海外の水族館へ高額で売却される。なかには15万ドル(およそ1600万円)で売れるイルカもいるという話だ。政府機関や活動団体から得る数字をもとに海洋哺乳類捕獲業界を調査するオンラインデータベースCeta Baseの計算によれば、2013‐14年期には158頭のイルカが生きたまま捕獲され、834頭が肉のために殺されていた。2013年の1月から11月まで78頭のイルカが総額2.78億円で太地町が売却している。3

障害物は他にもある。タカヨと名乗るイルカ保護活動家は「我々活動家が怒りを飲み込まないかぎり、漁師の人達はプライドを飲み込まないだろう」と話す。「それまではイルカ肉やクジラ肉を食さない日本人までもが外国の活動団体に自分たちの文化を叩かれていると感じ続けるだろう。」タカヨはこの記事に自分の名字を書かないよう依頼している。すでにネット上で活動に対する脅迫やいやがらせを受けているからだ。

何十年にもわたる外国の捕鯨反対派との対立と国粋主義的な捕鯨擁護の主張の広まりの結果、今や捕鯨やイルカ漁は単なる経済問題だけではなくなっている。現在、捕鯨擁護派の多くは日本人のアイデンティティや文化保護に結びつけた主張を論じている。クジラ目を獲ったり食べたり、あるいはその習慣を擁護するだけで、外国から攻撃されている日本人のアイデンティティを肯定できるというのだ。

考古学者達はこのような文化的自衛本能は、太地町が国内旅行者を呼びこむために名付けられた「くじらの町」というブランディングに注ぎ込まれている、と解析する。古い伝統や祭りが蘇り、クジラ目の肉やイルカショーまでが文化体験の一面として売りだされている。4これらを外国人旅行者の感覚にあわせて形を変えるのは難しいだろう。

それに比べ、カイコウラのナティ・クリ族は割り切れていると私は感じた。クジラ目をタオンガ(宝物)と呼ぶ彼らの伝統と慣習は時代の流れとともに形を変えてきた。ヨーロッパ人が上陸するまでの時代には神々が浜辺に打ち寄せた貴重な食物の賜物として、捕鯨時代やホエールウォッチングの時代では収入源として、そして現代では保護され崇められる聖なる生き物として扱われている。

しかし、現在カイコウラでは捕鯨の時代は過去の記憶でしかない。太地町でも大型クジラ目の捕獲は1988年の国際商業捕鯨モラトリアム以来行われていないが、太地町の漁師や彼らの支援者はイルカの追い込み漁は彼らの捕鯨の伝統の一部だと、伝統ではなく利益のためだと非難する指摘にもかかわらず、主張を続けている。

太地町における日本の活動家達が今より大きな役割を持てば、「外国人VS 我々」のような思考を萎ませ、イルカ漁の終焉をもっと早く呼び込めるかもしれない。

「最終的にこの問題は日本国内で、日本人によって解決されなければならない」とタカヨは話す。「声を上げても非国民と呼ばれない、そんな安全があるべきだ。」

オバリーは同調する。「外国人活動家が変化をもたらす事はできない。日本人にこの問題の主権を取って先頭に立ってもらわなければならない。が、海外メディアは太地町を追い続けるべきだ。世界はこの事について知る権利がある」

19世紀末、ヨーロッパやアメリカへ渡り現地の捕鯨業で働いた若い男たちが太地にその技術を持ち帰り、故郷の捕鯨を近代化させたという展示をくじらの博物館で見たのを思い出した。それが起こる兆しは見えていないが、そのような国際的視野こそが太地を蘇らせるのではないだろうか。保護されたクジラやイルカを自由に生かす事で価値を上げる、数々の伝統と文化を誇るくじらの町として。

カイコウラで昔の捕鯨場の跡地を見学している時、私は若いドイツ人の夫婦に会った。ふたりは熟練のエコツーリストで、野生のイルカたちと泳ぐツアーに参加した後で高揚していた。我々は会話するうちに動物の権利について話し始めた。

「彼女は去年の12月にベジタリアンになったんです」と夫の方が妻を指して言った。

「自分もそうですよ」と、私は答え、そして自分の足元の革靴に目を向けながら「ただ、たまに自分の論理が一貫していないのはどうかとも思っていますが」と呟いた。

「それでも、」と彼女は言った。「どこかで第一歩を踏み出すことが大事なんじゃないですか?」


1. Taiji Town 太地町役場 <www.town.taiji.wakayama.jp/tyousei/sub_02.html>

高山新 2007 和歌山県太地町の地域経済および財政状況と住民暮らし。「第4次太地町長期総合計画」(太地):27-28 <https://ir.lib.osaka-kyoiku.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/19680/1/koumin_15_021.pdf>

遠藤愛子 2011 第10章 変容する鯨類資源の利用実態 和歌山県太地町の小規模沿岸捕鯨業を事例として。松本博之編「海洋環境保全の人類学」国立民族学博物館調査報告 97: 262-263 <http://ir.minpaku.ac.jp/dspace/bitstream/10502/4429/1/SER97_011.pdf>

2. Jun Morikawa 2009. Whaling in Japan: Power, Politics and Diplomacy. (New York: Columbia University Press) を参照。

3. Ceta Base 2014. Drive Fisheries: Capture Results and Information. Web: <www.ceta-base.com/drivefisheries.html#20132014>

4. Arne Kalland 1998. “The Anti-whaling Campaigns and Japanese Responses”. In The Japanese Position on Whaling and Anti-Whaling Campaign (Tokyo: Institute of Cetacean Research). Web: <http://luna.pos.to/whale/icr_camp_kalland.html> (日本語訳はこちらのリンクへ <http://luna.pos.to/whale/jpn_kalland.html>)

Original article: Kaikoura and Taiji: a tale of two whaling towns

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